Colorless World


何回、苦しさで目が覚めたのだろう。
「悲しい」でも「寂しい」でもなくて、ただ苦しくて声もでなくて、叫んでいるのに、
歌っているのに、音はその存在ごと消えてしまっている、灰色の世界。
「っう・・・。く・・・あっ・・・。・・・。」
嫌な汗をかいて、目が覚めた。
「っ・・・はぁ。」
窓からは、嫌味なくらい気持ちの良い朝の空が覗いている。
「また・・・あの夢。」
千早は、窓から目をそらし、まぶたを閉じてから深呼吸をした。
「・・・大丈夫。私には・・・歌がある。」
小さくつぶやくと、ベッドから起きだした。

***

今日は、事務所に顔を出してから、歌のレッスンを受ける予定だ。
前回のオーディションでは、ライバルの不調もあり、運良く合格できたものの、けして満足できる状態ではなかった。
高音がかすれてしまったし、なにより、やよいは歌詞を忘れた箇所があった。

事務所に向かい歩いていると、丁度やよいが向かってきた。
「あ、おはよう!ちーちゃん!」
「おはようございます。やよいさん。」
やよいはニコニコして大きく手を振っている。
「この前のオーディション、ありがとう。・・・私、歌詞どうしてもおもいだせなくなっちゃって・・・。ごめんなさい。」
「・・・いえ。」
(あの時は、私がかばえたから良いものの・・・。安心して自分の歌に集中できないのは、正直迷惑ですね・・・。)
千早は、一瞬口に出しそうになった言葉を、ぐっと飲み込んで足早にレッスン場に向かった。
「あ、待ってください〜。」
やよいもあわてて、その後に続いた。

事務所に入ると、プロデューサーは自分のデスクで、難しい顔をして何かの資料を見ていた。
「おはようございます。プロデューサー。」
「あ、おはよう。千早。」
プロデューサーは少しあわてた様子で、先ほどの資料を片付けた。
そのうちの一枚が、千早の足元に ひらり と落ちてきた。
「・・・。はい、プロデューサー。」
千早はそれを拾うと、プロデューサーに渡した。
資料には、いくつかの数字が載っていた。
今までの活動の結果だろうか。・・・その数字の意味までは読み取れなかった。
「・・・千早、やよい。昨日はオーディション合格おめでとう。またTVに出たら、ファンも増えるな。」
プロデューサーは嬉しそうな笑顔をうかべている。
その笑顔に千早は少し苛立った。

「プロデューサー・・・お言葉ですが、TVに出たからといってファンが増えるというものでしょうか。」
千早は、口早に続けた。
「 私たちが実力をつけなければファンを惹きつけることは難しいと思うのですが・・・。」
プロデューサーの表情が曇った。
その表情を見て、千早は一瞬、後悔した。
(言い過ぎてしまった・・・?。)

気まずそうに視線を下げる千早の隣で、やよいは千早を見て二コリと笑った。
「・・・そうだね。ちーちゃん、一緒にこれからも頑張ろうねっ☆」
やよいが無邪気な笑顔を浮かべて、手を上げた。
「・・・そうですね。頑張りましょう。・・・本番になっても歌詞を覚え切れていないなんてことがないように。」
(・・・あ・・・。つい、また嫌な言い方を・・・。)
千早は、少し不安な表情でやよいの様子を伺った。

「うん。・・・私ももうあんなことしたくないです。頑張ります。」
やよいは、少し困ったような顔で笑っていた。
「・・・。私も、たくさんの課題が見つかりました。・・・お互いに頑張りましょう。」
千早は、軽く唇を噛んでから微笑んだ。
(私には、歌しかないから・・・。歌以外のすべてを忘れさせてしまうような・・・そんな歌を歌わなくては・・・。)
千早は遠くを見ているような表情で、小さく呟いた。

「さて、と。」
プロデューサーは大きく息をしてから、にこりと笑ってから千早とやよいに話しかけた。
「今日は、歌のレッスンをしよう。これからきっと忙しくなる。今のうちに、基礎力をつけていこう。」
「もっとたくさんの人がファンになってくれるように頑張ろうな。」
二人はうなずいた。
「あ・・・あと、千早。ちゃんと寝て、食事も食べてるか?少し顔色がさえないようだけど。」
「・・・え。・・・はい、気をつけます。」
千早は、少し視線を落とした。

昨日は、あまり食べられなかった。いや、昨日だけではなくて最近ずっと、あまり食べていない気がする。
ここのところずっと、カロリーメイトやサプリメントのような補助食品で済ませている。
正直なところ、食事に使う時間があったら、歌の練習や勉強をしていたかった。
「体重は増えても減っても、あまり良くないから気をつけて。」
「はい、もうしわけありません。」
「いや、責めてるんじゃないんだよ。千早は頑張りすぎるから少し心配なんだ。」

プロデューサーの言葉に、千早は少し苛立った。
(今頑張らなくて、どうするというのですか。)
また、口に出しそうになりながらも、その言葉を飲み込んで、事務所の出口に向きなおした。
「・・・気をつけます。・・・レッスンに向かいましょう。」
「はい、行きましょう。プロデューサー、今日もモリモリがんばりますっ☆」
明るい声でやよいが続いた。
千早はすこし悲しくなった。(・・・歌のことだけ考えていたい・・・。)
やよいの明るさも、プロデューサーの心配も、苛立つ自分も、すべて煩わしいと思った。

レッスン場では、いつもと同じように各々が練習に取り組んでいた。
(ここにいる、すべての人がライバル・・・。)
千早は、ふっとそんなことを考えて、気をそらすために軽く頭を振った。
(今は、そんなことを気にすることより、自分たちの実力を向上させなければ。)
「千早、やよい、レッスンを始めるぞ。」
「はい。」

レッスンはやよいから始まった。
前回のオーディションで歌えなかった箇所は、歌えるようになっていたが、いくつか気になる箇所もあった。
(ブレスのタイミングが悪いのでは・・・。文脈上おかしな場所で言葉が途切れているし・・・。)
レッスンの様子を見ていると、だんだん眉間に皺が出来てしまう。
(歌詞の意味を考えているのかしら。・・・そのためのレッスンだけど、自己練習はちゃんとしてるのかしら・・・。)
(いくら私が完璧をめざしていても・・・やよいさんがしっかりしていなければ、ユニットとしての完成度は下がってしまう・・・。)

「次、千早、始めるぞ。」
「あ、はい。よろしくお願いします。」
深呼吸をしてから、歌詞のレッスンに入った。
「・・・うん。素晴しい、完璧だ。」
「ありがとうございます・・・。」
(こんなことで、ほめられても仕方が無い。・・・こんなこと、歌を歌うための準備でしかないのに・・・。)
千早は、イライラする一方で、頭痛がしてきた。
「千早、大丈夫か?・・・顔色が真っ青だぞ?」
プロデューサーが顔を覗き込んだ。
「・・・大丈夫です。」
「・・・。今日のレッスンはここまでにしよう。疲れがたまってるんじゃないか?」
「いえ、大丈夫です。レッスンを続けてください。」
千早は、真剣な表情で食い下がった。

「ダメだ。千早、休むのも仕事のうちだ。体調管理が一番大切だ。」
「はい。・・・解りました。ありがとうございました・・・。」
いつもより早く、レッスンが終わった。
(もっと、練習しなくてはいけないというのに・・・。)
「やよいさん、申し訳ありません。私のせいで・・・十分なレッスンを受けられなくて・・・。」
「え、気にしないで下さい。誰だって、具合悪いときあるし・・・。」
「ねぇ、ちーちゃんはごはんちゃんと食べてますか?・・・プロデューサーさんが気にしてたんですけど・・・やっぱりちょっと、顔色よくないかも〜・・・。」
やよいは心配そうに千早を見つめている。

「・・・確かに、最近簡単なものですませていました。・・・反省しています。」
「う〜ん・・・。お母さんとか、お父さんも?」
「家は・・・。」
千早は少し言葉を選んでから、答えた。
「今日もだけど・・・。父も、母も、仕事で帰ってこないこともよくあるし・・・。」
「え、そうなの?・・・そっか〜一人じゃごはんも美味しくないよね・・・。」
やよいは、少し考えてから、『うん、大丈夫』と呟いてから千早に言った。

「今日、家で一緒にご飯食べようよ。」
「え・・・?」
千早は一瞬戸惑った。やよいは、ニコニコしながら話し続けている。
「あのね、今日はカレーの日だから、一人くらい増えても大丈夫だよ。お母さんも、ちーちゃんに会いたがってたし・・・。」
やよいは、嬉しそうに千早に微笑みかけた。
「ちーちゃんも、一人でご飯食べるより楽しいよ?。ちょっと、お母さんに聞いてみるね。」
「あ・・・あの・・・。」
急な話に、千早は困っている。
「あ・・・ごめん、勝手に決めちゃダメですよね。・・・ちーちゃん、家に来るのは無理かな・・・。」

寂しそうに、やよいが首をかしげた。
「急に、お邪魔したら失礼ではないでしょうか・・・。」
その言葉を聞いて、やよいはパッと明るい笑顔を浮かべた。
「全然失礼なんかじゃないです!。じゃあ、お母さんに電話してくるね。」
そういうと、やよいは事務所に向かって走りだした。
千早は戸惑いながらも、やよいの後に続いた。

***

「・・・あ、お母さん。・・・うん。そう・・・。でね、今日ね、友達をごはんに呼んでもいい?」
「えっと・・・なんかね、今日家に誰も帰ってこないっていうから・・。うん、大丈夫。ありがとう。」
(カチャ・・・)
受話器を置くと、やよいは千早の方を向き、にっこりと笑った。
「よろしかったら、お待ちしていますって。ちーちゃんに会えるの楽しみだって言ってたよ。」
「あ・・・ありがとうございます。」
「でも・・・ちーちゃんと一緒にお家でごはんなんて・・・。ちょっと恥ずかしいかも。・・・家、見てもびっくりしないでね・・・?」
やよいは、珍しく不安そうな表情で千早を見つめた。

「・・・ここですか?」
「はい。家に人を呼ぶのはプロデューサーさん以外はじめてです。」
少し、照れたようにやよいは笑った。
「全然立派な家じゃないけど・・・居心地は良いですよ?。」
木造の小さな家だ。

「お母さん、ただいま。ちーちゃん、連れてきたよ。」
「おかえりなさい。・・・いらっしゃい。寒かったでしょう。」
奥から、やわらかい雰囲気の女性がでてきて、にっこりと微笑んだ。
(この人が、やよいさんのお母さん・・・。)
千早は、静かに挨拶をした。

「はじめまして。いつもやよいさんにはお世話になっています。今日は急にお邪魔して申し訳ありません。」
「こちらこそ、やよいがいつもお世話になっています。やよい、奥にご案内してね。」
「は〜い。」
やよいは、玄関から入り、千早を呼んだ。
「ちーちゃん、こっちです。」
「お邪魔します。」
「案内って言っても・・・ここなんですけど・・・。みんな、お客さんだから詰めてね。」
やよいは兄弟に声をかけた後、千早を和室に通すと、少し気まずそうに言った。
「家、狭いから・・・みんなここにいるの。ごめんね。」
「いいえ。はじめまして、千早と申します。やよいさんにいつもお世話になっています。」
千早はにこりと笑って、やよいの兄弟達に挨拶をした。

「こんにちは〜。すっご〜い。TVより可愛いね。」
「いつも、うちの姉がご迷惑かけてます。」
「・・・う〜。生意気ですぅ・・・。あ、ちーちゃん、お茶、どうぞ。」
「・・・あ、お姉ちゃん、お茶いつもより濃いよ?」
「お客さんだからだよね。」
「こらっ。そういうこと言わないの!」
やよいは顔を赤くして、弟をしかった。
「・・・。」
その様子をみているうちに、千早の頬は少し緩んでいた。

「あ、ごめんね。ちーちゃん・・・。家っていつもこうだから・・・ちょっとうるさかったかな・・・?」
やよいは申し訳なさそうに千早の顔をのぞきこんだ。
「いえ、あの・・・。」
そういいながら、千早はすこし笑った。
「ちゃんとお姉さんなんですね。」
「うぅ〜。・・・おねぇさんかなぁ・・・。」
やよいは照れくさそうに頬をかるくかいた。

「やよい、そろそろお皿ならべて。」
奥から、母親の声がした。
「やよいさん、私もてつだいましょうか?」
「ありがとう、でも大丈夫です〜。座っていてください。」
そういうと、やよいは奥からカレーをはこんできた。
千早は、その手伝いをしようと、立ち上がろうとした。
「・・・大人数ですね。こちらに運べば良いですか?」
「いいよ、ちはやおねーちゃんは座ってて。僕が運ぶよ。」
「・・・あ〜。珍しい・・・自分から手伝うなんて。いつもは怒られてもなかなか運ばないのに・・・。」
やよいが弟をからかった。

「ちーちゃんのこと、大好きだもんね。いっつもTVで可愛いって一生懸命見てるし。」
「・・・そんなことないよ。」
弟は顔を赤くして口を尖らせた。
千早は、おとなしく席について、その様子を見ていた。
「さあさあ。準備もできたし、みんな食事にしましょう。」
台所から母親がもどった。
「いただきます。」
「今日はカレーだから、おかわりいっぱいしていい?」
「食べ過ぎてまたおなか痛くなってもしらないよ?」
「うぅ・・・。千早おねえちゃんの前でそんなこと言わないでよ・・・。」
「あはは。かっこつけてる〜。」

「こら、やよいそういうこと言わないの。」
「は〜い・・・。」
千早は、みんなで楽しそうに話しながら食事をする様子を眺めていた。
「あれ、千早おねえちゃん、カレー嫌い??」
やよいの弟が、食事に手をつけない千早に気づいて声をかけた。
「あ・・・いえ。いただきます。」
あわてて、一さじすくうと口に運んだ。
「おいしい。」
「でしょ。あんまりお肉入ってないけどね。」
「こらっ。そういうこと言わないの。」
やよいが恥ずかしそうに、言葉をはさんだ。
「とても美味しいですね。」
千早は、少し泣き出しそうな笑顔で言った。

「今日は、ごちそうさまでした。」
帰り支度を済ませると、千早はかるくお辞儀をした。
「よかったら、また来てくださいね。」
「うん、また一緒にごはん食べようね。」
「あ・・・。ありがとうございます。」
「外、ずいぶんくらくなっちゃったわ・・・。やよい、お留守番お願いしてもいいかしら。お母さん、千早さんを駅まで送るわ。」
「うん、大丈夫。」
「あの、一人でも大丈夫ですから。」
「何言ってるの。・・・こんな暗い道、一人で歩いたらあぶないでしょう。・・・家は近いの?」
「あの・・・駅からは歩いてすぐのところです。」
「そう、じゃあ、駅まで送りますね。」
やよいの母親は、そう言うとコートを羽織って千早と一緒に外へと歩き出した。

「千早さん・・・。」
「はい・・・?」
駅へと向かう道は思っていたより暗かった。
「やよいは・・・いつもあなたのことを自慢しているのよ。」
「え・・・そんな・・・。」
「ちーちゃんは凄く歌もうまいし、頑張りやだって。」
やよいの母親は、優しい声で話し続けた。
「・・・ときどきね、自分が千早さんの邪魔をしないように、もっとがんばらないとって言うの。」

「邪魔だなんて・・そんな・・・。やよいさんの明るさには私も助けられています・・・。」
千早は、すこし気まずそうに言葉を返した。
「ふふっ。ありがとう、やよいに聞いていた通り、千早さんは優しいのね。」
「やさしい?私が・・・・?」

「ええ。・・・やよいがね、いつも言うの。ちーちゃんは、いつも歌詞の意味とか、歌い方とか、真剣に教えてくれるって。」
時々、通り過ぎる街頭の明かりは、二つの影を長く、映し出している。
二人の足音がそれぞれのテンポで、暗い道に響いていく。

「そんな・・・。ごめんなさい・・・私、自分がきちんと歌いたいから・・・厳しく言ってしまっていただけで・・・。」
だんだんと、千早の声が小さくなる。
「ほめられるようなことは・・・何もありません。」
千早は・・・かすれるような声で言った。

そのとき、千早はそっと、手をにぎられるのを感じた。
足音が止まる。

「そんなこと、言わないで。やよいは、ちゃんと解っているわ。」
千早は、驚いたような表情で彼女を見つめた。
「一緒にうまく歌えたとき、一人じゃ感じられないくらい嬉しくって楽しいって言ってるの。」
おびえるように逃げようとする千早の手を、彼女は温かなやわらかい手で包み込んだ。

「千早さん、あなたはとても真面目でやさしい人だって、やよいの話をきいていればわかるわ。」
千早の頬に、涙が伝わった。
「私、一人で・・・いたほうが良いって思ったことも何度もあるんです。・・・そんなに、私はいい人間ではありません。」
千早の手が、強く握られた。

「あなたと会って、やよいはずいぶん成長したわ。・・・あなたがやよいを成長させたの。でも、それよりも・・・。」
「・・・それよりも・・・?。」
千早は、手が離れるのを感じた後、やさしく頭をなでられた。
「あなたと会ってから、やよいは毎日とても楽しそうなの。いつも、寝る前は『明日』を楽しみにしてるわ。」
「『明日』・・・ですか?。」

千早は、不思議そうに尋ねた。
「そう。今日できるようになったことを、早くあなたに見せたいみたい。」
「・・・ひょっとしたら、私よりもやよいの側にいるのはあなたかもしれないわ。あなたのような人が、やよいと頑張っていると思うと、私も嬉しいの。」
「毎日、成長してるってわかるんだもの。」
千早は、暖かい手で、頭を優しくなでられるたび、涙がこぼれた。
「あなたは、やさしくて、真面目で、とてもいい子よ。」
「そんなこと・・・ありません。」
「どうして?」

「だって・・・私は・・・。・・・そんなこと言われたことありません・・・可愛くない子だって・・・いわれたことはあっても・・・。」
「・・・あなたは可愛いわ。」
千早は、暖かい手で、また自分の手がつつまれるのを感じた。
「あなたは頑張りやで、まじめで、すこし不器用でとても可愛いわ。」
優しい声だ。
「そんなふうに、自分を責める必要はどこにもないの。そんなに、悲しいことを言わないで。」
切なく響いてくる。

「・・・でも・・・。」
「・・・。毎日を大事に生きていれば、・・・大丈夫よ。どうにかなるわ。」
やさしく頭をなでながら、彼女は優しく笑って言った。

「また、遊びにきてね。あなたを待ってるわ。」
「・・・ありがとうございます。」
小さな声で答える千早に、彼女はそっとティッシュを渡した。
「鼻、あかくなっちゃったわね。」
いたずらっぽく、彼女は笑った。
千早もつられて、笑った。
乾ききらない涙が頬できらめいていた。
「ほら、笑ったほうが可愛いわ。」
「・・・ありがとうございます。」
「また、いらっしゃい。みんなで待ってるから。」
「はい・・・。今日はありがとうございました。」

千早は、急ぎ足でホームに向かった。
ふと、足をとめて振り返ると、改札で彼女は微笑んでいた。
「また・・・おじゃましてもいいですか?」
少し、不安そうに千早が尋ねると、彼女は笑って答えた。
「みんなで待ってるわ。」
千早は、照れながら、お辞儀をした。ホームには、電車の出発を告げるアナウンスが響きだす。
いつもと同じ帰り道のはずなのに、窓から見える夜景は、いつもより輝いているように見えた。千早は、少し微笑みながら呟いた。
「『待っている』なんて、嘘でも・・・嬉しいですね・・・。」

まだ、信じるのは怖い。
だけど、何かが、体の芯に残っているような、ふしぎな気持ちだった。
電車の窓から流れていく暖かい町の明かりを、彼女はぼんやりと眺めていた。

☆おわり☆